お久しぶりです。calcsです。
どーもここのところ体調が安定しません。季節の変わり目ですかね。この間もちょっと持病が・・。まぁ、最近は無病息災でなく一病息災とか言うらしいですし、ちょっと位体ががたついてる方がいいのかもしれません。
さーて、本日のエントリーは?『学問が枯れているとはどういうことか』です。これは『技術が枯れている』に対応させて学問を考えたら、どんな学問が枯れているのか?ってな話です。では興味のある方は続きをどうぞ。
何でこんなこと書いたかって言うと、勉強するなら枯れたジャンルからだな。とか思った直後に枯れてるってどういう意味だよ、と自己ツッコミを今日してしまったからです。
まず第一に『技術が枯れている』ってどういうことでしょう?これはまぁ一般的な表現だと思いますが、例えばバグが少ない、不具合が少ない。要は使い古されていて、未熟なところが十分に洗い出されて潰されているという意味の表現です。
なんで枯れていると言うかは定かではありませんが、calcs的解釈では「枯れてない→みずみずしい→腐りやすい→エンバグしやすい」ってな発想かな。
用例:「まだD言語は枯れてるとは言いがたいよね」「TeXとか枯れてるよね」
次に学問が枯れているってなんだろうって話です。こっちはたまーに目にする表現で、その文脈からなんとなーく意味が取れるんですが、学問が枯れているとはどういうことか?という説明は見たことがない。
それというのも――ここでは学問を科学に限定して話させてもらいます――科学には再現性が必要不可欠なので、同条件では同様の結果が得られるような知識の体系になっていないと困るわけです。つまりバグという概念は(お題目の上では)あってはならない。あ、ちなみにソフトウェア技術でも『まったく同じ条件』になっていれば同じ結果を得られるはずです。現実的にそれが不可能なのは様々なブラックボックスが存在し、かつその比重が大きいからです。
そんなわけで『枯れている』という語は対象が技術でなく、学問となった時、異なった解釈をせねばなるまい。一応今まで目にした中では歴史がある、とか体系化されているとか、そういうコンテクストでの使用が多かったように感じます(誰かコーパス作っている人居たら検証してください)。
でもなんか、雰囲気は分かるんだけど枯れているという語のニュアンスはそういうのじゃない気がする。私はそう思います。
私が『枯れている』という語の意味的にクリティカルだと思う要件は『解釈が多様であること』です。説明の仕方が色々あると言い換えてもいいです。
というのも、人間は各現象を理解しているというより、それらの現象を記述した『解釈』を理解しているからです。というか、現象そのものが理解できるのなら科学なんて要らないし、ヒュームの言う懐疑説も完全にシカト出来ます。
では枯れているかどうかをどのようにして計るか。
適当に対象のジャンルの本を図書館に行って10冊ほど抜き出します。読みます。同様の概念の説明が3通りも出ればかなり枯れていると言って良い気がします。つまりそれが『原子の手』みたいな初学者向け解釈であったとしても、有効な解釈がそれなりに出揃っているということは様々な形式の思考に耐え得るということで、学問の頑健性を示しているのではないでしょうか。
P.S.史学においては、「研究が進んでいれば事件の見解は収束するはず」という考え方もあるそうなのですが、「過去に何が起こったか」は収束すると思いますが、「なぜ起ったのか」は収束しないでしょう(収束しない原因は、不確実性の堆積に関わります)。上の話は「なぜ」に関わるものとお考えください。
22
1 月
09
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